廣中璃梨佳の病気は?公表された右膝のケガ・仙骨疲労骨折や復帰、現在を解説

東京オリンピック女子10000mで7位に入賞し、日本女子長距離界の中心選手として活躍してきた廣中璃梨佳(ひろなか・りりか)選手。2024年は大会への出場がほとんどなかったため、「病気なのでは」「現在は走れるのか」と心配した人も多かったのではないでしょうか。

結論からいうと、廣中璃梨佳選手が内科的な病気や精神疾患を患っているという公表は確認できません。競技から長期間離れた主な理由として明らかになっているのは、右膝のケガと仙骨の疲労骨折です。

この記事では、廣中璃梨佳選手が経験した右膝の症状や仙骨疲労骨折、リハビリから復帰するまでの経緯を詳しく紹介します。2025年の日本選手権優勝と東京世界陸上、2026年のユニクロ移籍やアジア大会日本代表内定についても見ていきましょう。

廣中璃梨佳の病気は何?公表されているのは右膝のケガと仙骨疲労骨折

廣中璃梨佳選手について「病気」という言葉が広がった背景には、2024年に長期間レースへ出場できなかったことがあるようです。

しかし、本人や当時の所属先だった日本郵政グループから、内科的な病気や難病、精神疾患などを診断されたという発表は出ていません。確認できるのは、競技中の体への負担に関係する二つのケガです。

内科的な病気や難病は公表されていない

2026年8月現在、廣中璃梨佳選手が何らかの内科的な病気、難病、うつ病、適応障害などを患っているという公式情報は確認できません。

2024年に競技から離れた理由は「病気」ではなく、右膝のケガと、その後に判明した仙骨の疲労骨折でした。長期間にわたって姿を見られなかったため、体調を心配する声が「病気」という言葉につながったのでしょう。

ただし、「病気が公表されていない」ことは、健康状態のすべてが明かされているという意味ではありません。少なくとも、本人や所属先が競技離脱の理由として説明しているのはケガであり、別の病名を示す根拠は見つかっていません。

2024年に右膝を負傷

廣中璃梨佳選手は、2024年に右膝を痛め、長期間にわたって十分な練習ができない状態になりました。

本人は後のインタビューで、右膝がひどく腫れ、日常生活を送ることもつらかったと明かしています。半年ほどまともに走れない状態が続き、当初の約2カ月は特に焦りを感じていたそうです。日本郵政グループのインタビュー

右膝については「ケガ」と公表されていますが、靱帯損傷や半月板損傷といった詳しい診断名までは明らかにされていません。手術を受けたという発表も確認できないため、具体的な診断名や治療法を推測することはできません。

本人によると、トレーナーに体のバランスを診てもらった結果、膝だけでなく、股関節の柔軟性や足首の動きも影響していることが分かったといいます。膝だけに原因を求めず、体全体の動きを見直しながら復帰を目指していました。

走れるようになった矢先に仙骨を疲労骨折

右膝の状態が改善し、走れるようになった廣中璃梨佳選手を、今度は仙骨の疲労骨折が襲いました。

仙骨は、背骨の一番下と骨盤をつなぐ位置にある骨です。疲労骨折とは、転倒などによる一度の強い衝撃ではなく、同じ場所へ繰り返し負荷がかかることで生じる骨折を指します。日本整形外科学会も、健康な骨であっても弱い力が同じ場所へ長期間繰り返しかかると、疲労骨折が起こることがあると説明しています。日本整形外科学会

ただし、これは疲労骨折に関する一般的な説明です。廣中璃梨佳選手が疲労骨折した詳しい原因や、どのような検査を受けたのかは公表されていません。

右膝が回復へ向かっていた時期に別のケガが判明したため、競技復帰までにはさらに時間が必要となりました。

廣中璃梨佳の病気・ケガに関するプロフィール

項目内容補足
名前廣中璃梨佳ひろなか・りりか
生年月日2000年11月24日2026年8月現在25歳
出身地長崎県桜が原中学校、長崎商業高校出身
現在の所属ユニクロ女子陸上競技部2026年4月加入
公表された病気なし内科的な病名などは公表されていない
公表されたケガ右膝のケガ、仙骨疲労骨折2024年に長期離脱
右膝の症状強い腫れ、日常生活への影響本人がインタビューで公表
手術公表なし詳しい治療内容も非公表
練習再開2024年8月医師の許可を得て再開
レース復帰2024年11月クイーンズ駅伝に出場
2025年の主な成績日本選手権10000m優勝、東京世界陸上10000m6位世界大会自己最高順位
2026年現在競技継続中アジア大会10000m代表に内定

廣中璃梨佳が長期離脱するまでの経緯

廣中璃梨佳選手は、2023年12月の日本選手権10000mで優勝していました。しかし、2024年に入ると右膝のケガによって大会への出場が難しくなります。

東京オリンピックや世界選手権で実績を残してきた選手だけに、レースで姿を見なくなったことから体調を心配する声が広がりました。

2024年の大会を相次いで欠場

廣中璃梨佳選手は、2024年に入ってから右膝の影響でレースを相次いで欠場しました。

2024年5月に行われた日本選手権10000mへの出場を見送り、同年6月の日本選手権5000mも欠場しています。ワールドランキングではパリオリンピック出場圏に入ることが期待されていましたが、代表選考に必要な大会へ出場できませんでした。

2024年はパリオリンピックが開催される重要な年でした。世界大会で安定して結果を残してきた廣中璃梨佳選手が代表争いに加われなかったため、単なる欠場ではなく、重い病気や深刻な体調不良を心配する人が増えたのでしょう。

しかし、所属先や本人が明らかにした欠場理由はケガです。具体的な病名が公表されていないのではなく、競技離脱の理由自体が右膝のケガと仙骨疲労骨折だったことになります。

パリオリンピックに出場できなかった理由

廣中璃梨佳選手が2024年のパリオリンピックに出場しなかった理由も、右膝のケガと仙骨疲労骨折による長期離脱です。

東京オリンピックでは5000mで当時の日本新記録を樹立し、10000mでは日本選手として25年ぶりの7位入賞を果たしていました。そのため、パリ大会でも代表候補の一人として高い期待が寄せられていました。

ところが、ケガによって日本選手権へ出場できず、代表入りは実現しませんでした。廣中璃梨佳選手はパリオリンピックをテレビで観戦し、出場選手の走りから刺激を受けて、再び世界で戦いたいという気持ちが湧いてきたと語っています。

「パリ五輪に出なかった=重い病気だった」という関係ではありません。公表されている経緯を見る限り、二つのケガによって代表選考へ臨めなかったことが不出場の理由です。

半年間まともに走れず「もう走りたくない」と感じた時期も

廣中璃梨佳選手にとって、半年ほど満足に走れない経験は初めてだったそうです。

最初の約2カ月は焦りを感じ、その後も走れない状態が続いたことで、「もう走りたくない」という気持ちになった時期があったと振り返っています。これは本人がケガとの向き合い方を語った言葉であり、うつ病や適応障害を公表した発言ではありません。

つらさや焦りを語ったことだけで、精神疾患と結びつけることはできません。廣中璃梨佳選手は、チームのスタッフや監督、長崎に住む母親との会話が支えになったとも明かしています。

大きな大会を目指してきた選手が思うように走れなくなれば、競技への不安が生まれることは想像できます。それでも本人が公表していない精神状態や病名まで、発言の一部分から決めることはできません。

廣中璃梨佳の治療・リハビリと復帰まで

廣中璃梨佳選手が受けた治療の詳しい内容や通院先、薬、手術の有無は公表されていません。

一方で、医師の許可を受けて練習を再開した時期や、復帰に向けたトレーニングの内容は本人が語っています。走れない時期からいきなり通常練習へ戻ったわけではなく、段階を踏んで負荷を上げていきました。

入院や手術を受けたという発表はない

右膝のケガと仙骨疲労骨折について、廣中璃梨佳選手が入院や手術を受けたという公式発表は確認できません。

リハビリを続けていたことは公表されていますが、詳しい治療法や療養場所までは明かされていません。仙骨疲労骨折に対する一般的な治療法を、そのまま廣中璃梨佳選手が受けた治療として書くこともできません。

手術の公表がないからといって、手術を絶対に受けていないと断定することも避ける必要があります。確認できるのは、本人が医師やトレーナーの判断を受けながら、段階的に競技へ戻ったことです。

2024年8月に医師の許可を得て練習再開

廣中璃梨佳選手は2024年8月、医師から許可を受けて練習を再開しました。

日本郵政グループ女子陸上部の北海道合宿へ合流しましたが、最初から長い距離を走ったわけではありません。合宿の序盤はサイクリングなどの別メニューに取り組み、体の状態を確認しながら走る量を増やしていきました。

合宿後半には、チームメートと同じメニューで練習できる状態まで回復。仲間と一緒に走れる喜びが、自信を取り戻すきっかけになったと本人は振り返っています。

同年10月にはポイント練習を再開しました。ポイント練習とは、通常より強度を上げて行う重要なトレーニングです。2025年のインタビューでは、10月以降に継続して練習を積めたことが復調につながったと説明しています。TOKYO FORWARD 2025

2024年11月のクイーンズ駅伝でレース復帰

実戦復帰の舞台となったのは、2024年11月24日のクイーンズ駅伝でした。

廣中璃梨佳選手は各チームのエースが集まる最長10.6kmの3区を走り、区間2位。廣中璃梨佳選手自身は当時の状態について、3区を走れるレベルにあるのか迷いもあったと明かしています。

それでも日本郵政グループは大会を制し、4年ぶり4度目の優勝を達成しました。廣中璃梨佳選手にとっては、約1年間に及んだ長期離脱から競技へ戻る大きな一歩となりました。

同年12月のエディオンディスタンスチャレンジでは、前年12月以来となる10000mに出場し、32分29秒74で6位。記録だけを見れば自己ベストには届いていませんが、本人は2024年のなかで最も楽しく走れたことを収穫として挙げています。

冷え性と冬季のケガ対策

廣中璃梨佳選手は、以前から冷え性があり、冬場にアキレス腱や足首を痛めることが多かったとも語っています。

足先が冷える時期にはホットクリームを使うなど、ケガを防ぐための工夫を取り入れました。2024年秋の復帰後は、2025年2月から3月にかけても継続して練習できたことが、日本選手権での結果につながったと振り返っています。

冷え性は本人が公表している体質上の悩みですが、2024年の長期離脱を招いた右膝のケガや仙骨疲労骨折と同じものではありません。また、冷え性だけを二つのケガの原因と断定することもできません。

廣中璃梨佳は完全復活した?2025年から2026年現在まで

廣中璃梨佳選手は、2025年に国内外の主要大会へ本格復帰しました。

日本選手権10000m優勝、アジア選手権銀メダル、東京世界陸上10000m6位と、長期離脱前を上回る世界大会自己最高順位を記録しています。2026年には所属先をユニクロへ移し、現役を続けています。

2025年4月の日本選手権10000mで優勝

廣中璃梨佳選手は2025年4月、熊本県で開催された日本選手権10000mに出場しました。

冷たい雨が降る厳しい条件のなか、31分13秒78で優勝。日本選手権10000mでは2年ぶり4度目の頂点となり、本格的な復帰を印象づけました。

復帰レースへの出場だけでなく、国内最高峰の大会で優勝したことから、沿道や関係者からは「廣中、おかえり」と声をかけられたそうです。長期間走れなかった選手が、まず練習を継続できる状態を取り戻し、その先に優勝があったことが分かります。

ただし、競技へ復帰したことと医学的な「完治」は同じ意味ではありません。廣中璃梨佳選手自身も、大きなケガを経験してからは、体の張りを感じたときに練習量を抑えるなど、体の状態と向き合うようになったと話しています。

アジア選手権で銀メダル

2025年5月に韓国で開催されたアジア選手権では、女子10000mに出場しました。

豪雨と雷のため、最初のレースは5200m地点で中止。翌日にあらためて実施されたレースで、廣中璃梨佳選手は30分56秒32を記録し、銀メダルを獲得しました。

自己ベストに近い30分台で走れたことを、本人も自信になったレースとして挙げています。右膝のケガや仙骨疲労骨折で長期間走れなかった2024年から、国際大会で表彰台に立てる状態まで戻ったことになります。

2025年東京世界陸上10000mで6位入賞

廣中璃梨佳選手は2025年9月、東京で開催された世界陸上の女子10000mに出場し、6位に入賞しました。

2021年東京オリンピックと2023年ブダペスト世界陸上では10000mで7位でしたが、東京世界陸上では自身の世界大会最高となる6位を記録。5000mにも出場しています。

2024年にパリオリンピックを逃したあと、2025年の世界陸上で目標としていた「6位以上」を実現した形です。日本陸上競技連盟の公式プロフィールにも、2025年世界陸上10000m6位という成績が掲載されています。日本陸上競技連盟

2026年4月にユニクロへ移籍

廣中璃梨佳選手は2026年3月31日をもって、7年間所属した日本郵政グループ女子陸上部を退部しました。

日本郵政の発表では、退部理由として病気やケガの悪化は挙げられていません。廣中璃梨佳選手も、同社で得た経験を今後につなげていくという前向きなコメントを残しています。日本郵政グループ女子陸上部

翌4月1日、ユニクロ女子陸上競技部への加入が発表されました。廣中璃梨佳選手は「世界のトップと勝負するための新たなチャレンジ」と説明し、より高いレベルを目指す考えを示しています。ユニクロ公式発表

日本郵政からの退部を体調不良や引退と結びつける情報も見られますが、公式発表の内容とは異なります。移籍後もユニクロ所属の現役選手として大会に出場しています。

2026年アジア大会10000m日本代表に内定

2026年6月、廣中璃梨佳選手は愛知・名古屋アジア大会の女子10000m日本代表に内定しました。

同大会の陸上競技は、2026年9月23日から29日まで開催される予定です。女子10000mの代表には、廣中璃梨佳選手と田中希実選手が選ばれています。日本陸上競技連盟の代表内定選手一覧

2026年8月現在、廣中璃梨佳選手は病気療養中でも引退状態でもありません。ユニクロで競技を続け、アジア大会という次の国際舞台を目指している状況です。

廣中璃梨佳の病気に関する噂はなぜ広がった?

廣中璃梨佳選手に特定の病気があるという公式発表はありません。

それでも病気を心配する声が出たのは、2024年の欠場が長期間に及び、詳しい右膝の診断名や治療内容が公表されていなかったためでしょう。

約1年間レースで姿を見なかったことが理由

廣中璃梨佳選手は、2023年12月の日本選手権10000mから2024年11月のクイーンズ駅伝まで、約1年間レースから離れていました。

世界大会の常連選手がオリンピックイヤーに相次いで欠場したため、「どうしたのか」「重い病気なのか」と感じたファンも少なくなかったはずです。

しかし、競技から離れていた期間が長かったことだけで病気とは判断できません。本人が語った経緯では、右膝のケガが長引き、走れるようになった段階で仙骨の疲労骨折が判明したため、復帰まで時間がかかっています。

痩せた・顔色など外見から病気は判断できない

陸上選手は大会や練習の時期によって体つきが変わって見えることがあります。しかし、写真や映像で「痩せた」「顔色が違う」と感じても、それだけで病名や体調を判断することはできません。

廣中璃梨佳選手について、外見の変化を根拠に特定の内科疾患があるとする公式情報は確認できません。

本人が公表しているのは、右膝の腫れや日常生活への影響、仙骨疲労骨折、冷え性と冬季にケガをしやすかった経験などです。それを超える病名は、確認された診断結果ではありません。

うつ病・適応障害や障害の公表もない

廣中璃梨佳選手は長期離脱中、「もう走りたくない」と感じた時期があったと率直に語っています。

一方で、うつ病や適応障害などの精神疾患と診断されたという公表はありません。「不安だった」「走りたくないと思った」という発言は当時の心境を示したもので、医師による診断とは別です。

身体障害や後遺症についても、本人や所属先からの発表は確認できません。2025年に世界陸上10000mで6位に入賞し、2026年も国際大会の日本代表に選ばれていることは確認できますが、それだけで医学的な完治や後遺症の有無を断定することもできません。

廣中璃梨佳の病気・現在に関するまとめ

  • 廣中璃梨佳選手が内科的な病気や難病を患っているという公表はない
  • 2024年の長期離脱理由は、右膝のケガと仙骨の疲労骨折
  • 右膝は強く腫れ、日常生活を送るのもつらい状態だったと本人が語っている
  • 右膝の詳しい診断名、入院先、手術や治療内容は公表されていない
  • 右膝が回復して走れるようになった矢先、仙骨疲労骨折が判明した
  • ケガによって2024年の日本選手権とパリオリンピックへ出場できなかった
  • 2024年8月に医師の許可を得て練習を再開した
  • 2024年11月のクイーンズ駅伝で実戦復帰し、3区2位でチームの優勝に貢献した
  • 2025年4月の日本選手権10000mで2年ぶり4度目の優勝を果たした
  • 2025年東京世界陸上10000mでは自己最高の6位に入賞した
  • うつ病、適応障害、身体障害、後遺症を公表した事実は確認できない
  • 2026年4月にユニクロへ移籍し、同年の愛知・名古屋アジア大会10000m日本代表に内定している

廣中璃梨佳選手には「病気」ではなく、右膝のケガと仙骨疲労骨折によって走れない時期がありました。2026年8月現在はユニクロ所属の現役選手として、再び世界のトップと戦う目標へ向かっています。

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